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その昔(弘化3年ー1844)、秀策は昇段報告に故郷に帰った。この年に「耳赤の一手」が打たれている。 |
2006.05.07(Sun) |
囲碁クラブは午前中は子どもたちで賑やかだった。子どもはなんと言っても元気なのがいい。 午後からも子ども教室があったが、中心はなんと言っても元気のいい中高年の人たちだった。この雨の中をぼちぼちと集まってきて、最後はほぼ満員になった。顔ぶれを見ると、この大型連休で何かやり残したことはないかと考えた時、やはり思いっきり囲碁を打っておけばよかった、と思う事のないようにと、集まってきた感じがする。これから休み明けでいろいろと大変だと思うが、頑張ってもらいたいと思う。 三役リーグはいよいよこれから面白くなるところだ。期間は7月まであるが続々と参加者が増えている。今日は真剣勝負で「前頭前野部の活性化」を狙った。 「かなり真剣に打っていましたよ」 どうして判りました? 「そりゃ、何よりの証拠に耳のあたりが赤くなっていましたよ」 その昔(弘化3年ー1844)、秀策は昇段報告に故郷に帰った。この年に「耳赤の一手」が打たれている。旅は修業の旅でもあった。大阪で中川順節をたずねて対局、全勝だった。中川順節の師匠である八段準名人・幻庵因碩と打つことになった。又とない囲碁界の巨峰との対決だった。恐らく井上家の沽券に関わる、とっちめてやる!と思った事だろう。そして中盤から終盤にかけて、誰もが「因碩が圧倒的に優勢!」と思っていた。その瞬間打たれたのが、秀作の妙手だった。 幻庵因碩の両耳が真っ赤になった。幻庵因碩は言った。 「秀策はどこまで強くなるか、見当もつかない。必ず竜となり天に駆け登るであろう」 この伝でいくと、私の形勢が相当悪かった、と言うことになるのだろうか。いや、これは参った。
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